歴史・コラム

レイキャヴィーク港開港100周年

1917年5月8日・港の光景写真、防波堤の中に多くの船が入っています

昨日11月16日はレイキャヴィーク港100周年の記念日でした。

1913年3月8日に企画が始まったこの工事は1917年の11月16日に正式に採用されました。その時代では、とても大きいプロジェクトであったこの工事、このために資材の運搬用の線路が敷かれÖskjuhlíðの丘から削り取った石材を二両の蒸気機関車で運び出し四年もの歳月をかけて港が作られました。列車のないアイスランドではこの時に敷かれた線路が唯一の物です。

Pioneer蒸気機関車。隣に運転手達が立っている。

当時のレイキャヴィークは仕事が少ない土地であったため、首都の工事が町に大きな影響を与えました。それまでこれほどの大規模な工事が無かったため、この工事はアイスランドの労働組合が初めて労働者のための契約を結んだ工事ともなったのです。そして完成したこの港は首都において建築業、漁業の拠点としてや、工場地帯としての役割を果たすなど経済の中心地となりました。近年ではアートスペース、ショップ、レストランが多数オープンしたり、多くの建物がリノベーションされており、まるで小さなルネサンスのような変貌を遂げています。そしてその変化はこれから先もしばらく起こるであろうとされています。

時代が変わり、町が大きくなるたびに港も変わってきました。元のレイキャヴィーク港は今はほとんど残っていませんが、当時の防波堤や一部の桟橋はまだ残っています。

1914秋・コンクリート作業。左側に蒸気機関車が見えます

建物だけについてではなくこの港はアイスランドの歴史における大きなイベントが行われてきた港でもあります。デンマークからアイスランドの歴史やSagaの原本が戻された時にはアイスランド国立放送局RÚVの初生中継がこの港で行われました。また、アイスランドの有名作者Halldór Laxness氏(ハルドル・ラクスネス)がノーベル文学賞を持って帰ってきた時にも港で大勢の人たちがこの港で迎えました。他には第二次世界大戦時にはヴィンストン・チャーチルがアイスランドを訪れ、アイスランドに配属されていた英国軍人に挨拶をした場所としても知られています。

1917-1918年・港に船が参ります

1916年2月・港を深くする作業が始まりました

Minor蒸気機関車と多くの車両を連れ、隣に労働者が歩く

港の工事開始現場

1913年11月・記者や市役人が蒸気機関車に乗って港の工事現場を観光する

Öskjuhlíðの採石場の労働者

写真:Faxaflóahafnir より引用